●坂本龍馬の寺田屋

 2008/05/21(水)

納涼川床の後は伏見の寺田屋見学です。

(2008/05/16撮影)


 寺田屋

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     京都伏見の寺田屋は大阪と京都間の通船「三十石船」の京側の
      発着地の一つ南浜に「寺田浜」という船着き場を持つ大きな船宿
      でした。 
      「寺田屋」と書かれた軒提灯を吊るす昔ながらの船宿風情で、
      現在でも泊まることができます。  


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     参観券は幕末往時の土佐藩札をまねたものです。


 2階から見学スタート!

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     上り階段の両側に坂本龍馬の写真などが飾られています。


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     さあどこから見学しようかと迷います。


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     この部屋は今でも宿泊客に開放されています。

      
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     ここから外を眺められますが、立ち入り禁止です。


 坂本龍馬 愛用の「梅ノ間」

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     慶応二年(1866)1月23日、坂本龍馬が幕吏の襲撃を受けた時
      (寺田屋事件)、この部屋に泊まっていました。
      掛け軸の龍馬絵像は遭難直前のものです。  


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     坂本龍馬愛用のピストルの模型。


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     ピストルを構えた龍馬の絵がありました。


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     いたる所に刀傷があります。
      このように狭い所で大変だったことでしょう。


 お龍(りょう)さんの写真

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     何というグッドタイミング!
      16日付の新聞で
      「左側の若いおりゅうさんが右側の晩年のおりゅうさんと
      『同一人物の可能性がある』と高知県立坂本龍馬記念館が
      15日、発表した」

      と出ていました。


 1階に降りて・・・

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     異変にいち早く気づいた婚約者のお龍は、入浴中にも関わらず、
      素っ裸に近い状態のままで裏階段より龍馬たちに急を知らせました。
      龍馬は所持したピストルを利用して多数の捕り方相手に大乱闘と
      なり、手傷を負いながら も屋根づたいに逃げました。 


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     お登勢の部屋です。
      
              寺田屋お登勢
当時、寺田屋は薩摩藩の定宿で討幕志士たちはここをたまり場としており、龍馬もその中の一人であった。
お登勢は、龍馬のために献身的な働きをし、またお龍を養女として引き受けるなど陰に陽に協力をおしまなかった。
ちなみに、勝海舟はお登勢を評し、龍馬の人と志を 「もっともよく理解した」女だと述べている。




 外の庭で・・・

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     石碑「史蹟 寺田屋」


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     「三十石船」について。
      


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     龍馬が襲われた部屋はどこでしょう?


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     「寺田屋」を横から見てみました。
      2階にかけられた大きな看板「史蹟 寺田屋」と「旅籠 寺田屋」が
      目立ちます。


ここまで保存できているとは感心です。

現在NHKで日曜大河ドラマ「篤姫」が放送されています。
寺田屋も出てきそうです。


つづく・・・



 2008/09/26追加

龍馬の寺田屋 再建だった!

アサヒコムHPより
http://www.asahi.com/national/update/0925/OSK200809250083.html

専門家の間では以前から再建説が強かったが、京都市が25日
「1597(慶長2)年建設」としていた市の観光情報ホームページの説明を
「鳥羽伏見の戦い(1868年、慶応4年)で焼失後に再建」と修正すると
発表。